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東京地方裁判所 平成2年(ワ)4630号 判決

原告

長崎廣

右訴訟代理人弁護士

五百蔵洋一

古田典子

笠井治

戸谷豊

被告

株式会社甲野製壜所

右代表者代表取締役

甲野一郎

被告

甲野二郎

右両名訴訟代理人弁護士

二階堂信一

吉岡桂輔

栗林信介

由岐和広

右二階堂信一訴訟復代理人弁護士

岡澤英世

主文

1  被告らは原告に対し、各自金二五〇万円及びこれに対する平成二年五月一七日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告株式会社甲野製壜所は原告に対し、金六一六四円を支払え。

3  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  この判決は第1、2項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは原告に対し、各自一一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(各被告に対する訴状送達の日の翌日に該当する日は、被告株式会社甲野製壜所(以下「被告会社」という。)については平成二年四月二九日、被告甲野二郎(以下「被告二郎」という。)については同年五月一七日である。

第二事案の概要及び争点

一事案の概要

原告は、主に薬用ガラスびんの製造・販売等を営んできた被告会社の従業員で、被告二郎ら被告会社役員から昭和六二年五月結成された甲野製壜所新労働組合(以下「新労組」という。)の中心的活動家と目されていた者であるが、被告二郎の知人乙川三郎(以下「乙川」という。)らが、あらかじめ原告の乗用するオートバイに覚せい剤を忍ばせたうえ、昭和六二年一一月六日、警察当局に対し、「原告が覚せい剤をオートバイの座席の下に隠し持っている」旨の虚偽の申告をした(以下「本件誣告」という。)ため、同日覚せい剤取締法違反罪の容疑で現行犯逮捕され、同月九日釈放されるまでの間身柄を拘束された(〈書証番号略〉)。

そこで、原告は、本件誣告当時被告会社の代表取締役であった被告二郎こそが本件誣告の首謀者であると主張し、被告らに対し、前記身柄拘束を受けたことによって被った精神的損害についての慰謝料一〇〇〇万円と弁護士費用一〇〇万円の支払を求めているものである。

なお、被告二郎は、乙川らと共謀のうえ本件誣告をしたとの公訴事実により起訴され(以下「別件刑事事件」という。)、東京地方裁判所は、平成元年二月八日、右事実を認定して被告二郎を懲役二年の実刑に処する旨の有罪判決を言渡し、右判決は控訴取下げにより同年二月二三日確定した。

二争点

1  被告二郎は本件誣告に関与したか否か、関与したとすれば、その態様・程度はどうであったか。

なお、被告らは、別件刑事事件の控訴取下げは公訴事実を認めたことによるものではなかったとして、被告二郎の本件誣告についての関与を否定している。

2  被告二郎が本件誣告に加担していた場合、被告会社は本件誣告につき不法行為責任を負うか否か。

3  原告の損害の有無及びその額

第三争点に対する当事者の主張・反駁及びこれに対する当裁判所の判断

一争点1の被告二郎の本件誣告についての関与の有無・態様・程度について

1  原告の主張

(一) 被告二郎は、昭和六二年五月に原告が中心となって新労組が結成されたことから、新労組を弱体化させるために原告を被告会社から追放しようと考え、同年一〇月初旬ころから、乙川に対し、原告を解雇する方法を検討するよう指示し、乙川は、被告会社内で原告を喧嘩に巻き込んだうえ喧嘩両成敗の口実で原告を解雇する案を提案する等したが、結局実現させることができなかった。そこで、被告甲野は、法律上所持することが禁止されている何らかの薬物を原告が所持しているかのような外観を秘かに作出し、捜査当局にこれについて虚偽の申告をして原告を罪に陥れることができればこれを理由に原告を解雇できると考え、同月中旬ころ、被告会社社長室において、乙川に対し「例の件だけど、麻薬を持たせればいいそうだ。原告が犯罪を犯したということになれば解雇できる。麻薬をすれ違いざまに原告のポケットに入れるとか、会社内の原告のロッカーに入れるとかはできないか。」等と申し向けて、右外観を作出する具体的方法を検討するよう指示した。

(二) 右指示を受けた乙川は、同月下旬ころ、覚せい剤取締法違反罪の前科を有する丙沢四郎(以下「丙沢」という。)と相談のうえ、原告が通勤用に使用している自動二輪車(以下「本件オートバイ」という。)のナンバープレートの裏側に覚せい剤を隠匿して原告がこれを所持しているかのような外観を作出することとし、覚せい剤は丙沢が入手してこれを乙川に渡し、乙川において適当な人物を使って覚せい剤を本件オートバイに隠匿し、丙沢において捜査当局に対し原告が覚せい剤を本件オートバイに隠匿して所持している旨の虚偽の申告をして原告を逮捕させること等の手順を決め、被告二郎に対し「原告が通勤用に使っているオートバイに麻薬を隠そうと思うので、原告のオートバイの写真をくれ。」と申し入れ、被告二郎は、そのころ、自らもしくは女婿で当時工場長であった丁海五郎が撮影した本件オートバイの写真一枚を乙川に交付した。

(三) 乙川は、そのころ、被告会社社長室において、被告二郎に対し「麻薬の仕入代金や麻薬を買う人間、麻薬を隠匿する人間、警察に通報する人間へのお礼もあるから、八〇万円くれ。」と申し入れ、被告二郎はこれを了承してその場で八〇万円を本件誣告を実行するための資金として乙川に交付し、本件誣告を実行させた。

2  被告らの反駁

被告二郎は、乙川らによる本件誣告に何ら関与していない。

被告二郎は本件誣告につき乙川と共謀していない。本件誣告は、乙川が後に報酬を被告二郎ないし被告会社に請求する目的で、被告二郎と無関係に計画し、実行したものである。

被告が別件刑事事件における控訴を取り下げたのは、刑事裁判を続けてマスコミ報道がされると、報道の都度、取引先や仕入先に動揺を与え、被告会社の経営に支障をきたすからであって、本件誣告についての関与を認めたからではない。

(一) 被告二郎は、別件刑事事件の捜査段階において本件誣告についての関与を自白しているが、被告二郎の自白調書は捜査官の執拗な追及により作出された客観的事実に反する作文である。すなわち、被告二郎は、当時、狭心症を患い、勾留中にもニトログリセリンを服用していたところ、捜査官は、上原正吉(大正製薬株式会社の元会長)の著書である「波涛を越えて」中に、右会社の次期社長の座をめぐっての権力闘争の過程で、右上原を社長とすることに反対する人達が同人を株主総会に出席させない目的で同人が麻薬を所持している旨捜査当局に通報してその身柄を拘束させた旨の記載があること及び大正製薬株式会社が被告会社の大手の取引先であることから右著書を被告二郎が所持していたことを奇貨とし、右記載をヒントとして被告二郎が本件誣告を思いついたとの筋書きを作り上げ、狭心症で苦しんでいた被告二郎を追及して虚偽の自白に至らしめたのである。

(二) 乙川は、別件刑事事件における証言(以下「別件乙川証言」という。)の中で、昭和六二年一〇月の一〇日から半ばにかけて、被告二郎が乙川に対し、麻薬を原告に所持させたうえで警察に通報すれば犯罪者に仕立て上げて解雇することができるから、その方法について研究しておくよう指示した旨証言している。しかしながら、乙川は、他方において、右共謀に至る経緯について、同月初旬ころ被告二郎から原告を解雇するのに何かうまい手はないかと相談され、被告会社内で原告と他の従業員とを喧嘩させる方法や原告の女性関係を調査して原告に弱みを握る方法を提案したが、これらの方法が功を奏しないことから本件誣告を共謀するに至った旨証言しているところ、原告の勤務日程表によれば、右女性関係の調査をしたのは同月二五日以降でなければならないから、同月の一〇日から半ばにかけて前記のようなやりとりが乙川と被告二郎との間でなされることはあり得ないのであって、共謀の事実に関する前記乙川証言は信用できない。

(三) さらに、別件乙川証言によれば、乙川は一〇月三一日午前一〇時前後に被告会社社長室において被告二郎から覚せい剤購入等の資金として八〇万円を受領したというのである。しかしながら、被告二郎は同日午前中は公認会計士事務所職員矢崎喜六と被告会社社長室において決算の打ち合わせをしており、その間別件乙川証言にあるような金銭の授受の事実は存在しない。また、乙川は、同日の午前中に乙川名義の銀行普通預金口座から五万円を引き出し、同日の午後に二回に分けて同口座に各五〇万円ずつ、合計一〇〇万円を入金しているところ、別件乙川証言によれば、乙川は被告二郎から受領した八〇万円に手持ちの二〇万円を加えた一〇〇万円を右のとおり二回に分けて入金したというのであるが、当時乙川は一、二万円の金にも困って愛人から送金させていたほどであるから、同日の時点において二〇万円もの手持ちの金があるはずがないし、仮に二〇万円の手持ちの金があったとすれば、わざわざ午前中に五万円を銀行から引き出すはずがない。以上によれば、乙川が被告二郎から同日に八〇万円を受領したとの別件乙川証言は客観的証拠関係と矛盾するほかないのであり、別件刑事事件において乙川の知人大関登次が証言しているように、右一〇〇万円は乙川がそのころ別途不動産取引により得たものなのである。

3  当裁判所の判断

証拠(〈書証番号略〉)によると、次の事実を認めることができる。

被告会社は、被告二郎の父太郎の個人経営にかかる甲野製壜を昭和二二年一月一〇日株式会社組織に改組し、主に薬用ガラスびんの製造販売等をなしてきた従業員約一二〇名の会社であり、被告二郎は、昭和二四年ころ被告会社の代表取締役に就任し、いわゆる同族会社のワンマン社長としてその実権を掌握してきたが、その間の昭和二八年、被告会社は火災により工場全体を焼失し、被告二郎はこの再建に非常な苦労をかさね今日の被告会社を築いてきた。他方で、被告二郎は、精神薄弱者と身体障害者に雇用の場を提供する目的で昭和四七年に社会福祉法人甲野学園を設立し、その卒園者を被告会社で採用してきた。

ところで、被告会社には、昭和四八年ころ、その従業員によって組織された甲野製壜所労働組合(以下「甲野労組」という。)が結成され、この結成以降同労組と被告会社とはほぼ良好な労使関係を保ってきた。

原告は、昭和四九年四月、被告会社に採用され、一旦退職した後の翌年四月再採用され検査課に所属するとともに、甲野労組に加入した。しかし、原告は、昭和五〇年六月二七日、同課の従業員橋本、黒崎とともに被告会社と甲野労組とは精神薄弱者、身体障害者に対して差別をしている旨の批判をしたことから、被告会社は右三名を解雇したが、同年七月二日、右解雇を撤回し、この後右三名は甲野労組から事実上脱退した。そして、原告らは、昭和五〇年一二月三日、検査課所属従業員三五名と共に甲野製壜所検査課労働組合を結成し、原告は同労組の副執行委員長に選出された。そして、昭和五五年三月五日、同労組は東京東部労働組合に加盟し、これに伴い名称を東京東部労働組合甲野製壜支部と変更し、原告は同支部執行委員長に選出され、今日に至っているが、その間、同支部と被告会社との間には多くの労使紛争が発生し、被告二郎ら経営陣は右紛争の指導者は原告であると見做し、この対処方法に多くの心労を費やしてきた。ところが、このことに加え、昭和六二年五月、被告会社の研修方針に反対した被告会社独身寮「平井寮」に入居していた従業員を中心とした二二名によって新労組が結成され、原告が特別執行委員に選出された。

被告二郎は、被告会社には六〇歳定年制が実施されていることから、昭和六二年に六〇歳となったのを機に代表取締役を退任して長男の一郎を後任者に据えたいと考えていた。同年四月下旬、被告二郎は糖尿病で入院していたところ、たまたま新労組結成の報告を受け、早速自宅に役員らを集合させ、その対策を協議した。席上被告二郎は、「明日から行動を起こし、切り崩しを始めろ。」等と指示したが、常務取締役屋上八郎は、「このようなことになったのは工場長の横暴にある、結成されてからでは元の状態に戻すには一〇年かかります。」等と反論し、これに対し、被告二郎は、「俺は六〇歳を過ぎている。一〇年は待てない。」等といい、新労組員を甲野労組に復帰させるべきこと等を指示した。そして、被告二郎は、自己の在任中に新労組のない状態で被告会社の経営を一郎に引き継ごうと考えるようになり、このためには「平井寮」に居住している従業員の監視を強化し、かねてから考えていた原告の被告会社からの追放を実行しなければならないと考えるようになった。

同年五月下旬、被告二郎は、昭和五三年ころから約三年間社会福祉法人甲野学園の副園長に就任していたことがあって、その後も被告会社の関連会社に投資対象土地の購入の斡旋をする等していた金融・不動産のブローカーの乙川が病気見舞いに訪れたのを機会に、同人に被告会社における労使関係の実情を説明し、新労組対策のために「平井寮」の管理を強化する必要があると考え、同寮の管理態勢が不十分であるのでこの寮監補佐に就任してほしい旨要請したところ、同人がこれを断ったので、他に適当な人物を紹介してくれるように依頼したところ、乙川はかねてから知り合いの不動産ブローカー高橋宏を紹介してきたので、同年六月下旬、同人を同寮の寮監補佐として採用し、そして、そのころから乙川も同人の手助けをするため同寮に寝泊まりするようになった。しかし、高橋は同年八月ころ、同月末で退職したい旨の意向を示したので、被告二郎は再度乙川に後任者を紹介してくれるよう依頼したところ、乙川は、知人の鈴木を紹介してきたので、同人を同寮の寮監補佐として採用するとともに、乙川に対しても同寮の寮監補佐となって新労組組合員を説得して甲野労組に復帰させるように働きかけて欲しい旨要請したところ、乙川はこれを引き受け、同寮に寝泊まりしながら、右要請の趣旨を実現すべく同寮入居従業員の一部の人達を飲食に誘うなどしていたが、容易にこの成果を挙げる様子になかった。この間の同年八月から同年一〇月まで被告二郎は、乙川に対し、同人の要求を入れて、給料として一か月乙川に三〇万円、鈴木に約三〇万円のほか、右従業員に対する飲食等の懐柔資金として約四〇万円、合計約一〇〇万円の支払をした。右の間、乙川は、被告二郎に一週間に一、二度経過報告に訪れたが、その結果は被告二郎の考えていることとは全く逆であった。このようなことから、被告二郎は、同年一〇月中旬ころ、乙川と、原告を解雇する方策を相談し、乙川は、他の従業員から原告に対し喧嘩を仕掛けさせ、喧嘩両成敗ということで原告を解雇する方策を提案したが、一郎が強く反対したためにこの方策を断念した。

そこで、同年一〇月下旬ころ、被告二郎と乙川はさらなる方策を相談し、原告に麻薬等法律上所持を禁じられている薬物を密かに所持させるようにし、これを警察当局に密告して原告を罪に陥れ、これを理由に原告を解雇しようということになった。

そこで、乙川は、数日後、覚せい剤取締法違反罪で三回服役(最終回の出所は昭和六〇年五月)したことのある不動産ブローカーで知人の丙沢と数回にわたり具体策を話し合い、原告に所持させる薬物を覚せい剤とすること、原告を罪に陥れるために必要な量の覚せい剤約一〇グラムの入手と警察当局に原告の覚せい剤所持を密告する役割は丙沢が引き受けること及び原告が通勤に使用している本件オートバイのナンバープレートの裏側に覚せい剤を隠すことを決めた。そこで、丙沢は、乙川に本件オートバイの写真が欲しい旨述べ、乙川は、丙沢に対し、覚せい剤の購入代金として約一〇万円、この購入の謝礼と警察当局に対する密告の謝礼金として二〇万円を支払うことを約した。数日後、乙川は、被告二郎に、古い知人が覚せい剤(シャブ)を入手してくれる旨を報告し、これに対し、被告二郎は、一旦は危惧の念を表明したが、乙川は、丙沢は古い友人なので大丈夫である旨を述べて安心させた。そのころ、乙川は、被告二郎に対し、本件オートバイの写真と原告の住所・通勤経路の分かるものが欲しい旨述べ、これに対し、被告二郎は、二、三日のうちに準備しておく旨述べ、そして、そのころ、被告会社工場の塀の横に駐車してあった本件オートバイを後方からナンバープレートを入れて撮影した写真を乙川に渡した。その数日後の同日末ころ、乙川は被告二郎を社長室に訪ね、同被告に対し、覚せい剤の購入代金と手助けをしてくれる人達に支払う謝礼金等に全部で八〇万円の費用が必要であるとして、同被告から八〇万円を受け取った。

その数日後、乙川は丙沢に覚せい剤の仕入代金として一三万円を支払って覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンの結晶7.854グラム(以下「本件覚せい剤」という。)を入れた包みを受け取り、そのころ、かねて不動産取引関係で知り合いの不動産取引・建築請負を営んでいた戊山六郎に、被告二郎からそのころ受け取っていた本件オートバイの写真を示しながら、これに覚せい剤を隠し、このことを警察当局に密告して原告を逮捕させるので、本件オートバイに覚せい剤を隠す役割を引き受けて貰いたい、謝礼として二〇万円支払う旨告げたところ、同人は当初躊躇したものの、最終的に二〇万円の謝礼金欲しさからこれを引き受けたので、乙川は同人に右写真と原告の労働者名簿を渡し、原告が自宅にいるであろう日の同月五日から同月七日までの間に原告の自宅付近に駐車してある本件オートバイのナンバープレートの裏側に覚せい剤を張りつけてもらいたい旨依頼した。

戊山は、同年一一月二日ころ、かつて不動産ブローカーをしていたことがあって覚せい剤取締法違反罪で数回服役したことがあり不動産金融会社の電話番をしていた知人の田中七郎の手助けを借りようと考え、電話で同人と落ち合う日時を打ち合わせ、他方、そのころ、乙川から、謝礼の内金として一〇万円を受け取るとともに、最終的に戊山が受領する謝礼を右内金を含め二五万円とするよう要求し、乙川は右要求を承諾した。そして、同月三日ころ、戊山は、田中に原告の労働者名簿と右写真を示しながら、原告は労働組合の幹部で被告会社にとって不都合な人物なので解雇したい、そこで本件オートバイのナンバープレートの裏側に覚せい剤を張り付けて原告を罪に陥れることを手伝ってほしい、謝礼として一〇万円を支払う旨依頼したところ、同人はこの謝礼金欲しさからこの依頼を引き受け、一〇万円を受け取った。そして、同月四日ころ、戊山は、乙川から本件覚せい剤を受け取るとともに、乙川の要求により本件オートバイの写真と原告の労働者名簿を同人に返却し、同日午後一〇時三〇分過ぎに原告の住所付近に赴き、この付近に駐車してあった本件オートバイの下見をし、同月五日午後一一時ころ、田中とともに新小岩駅で落ち合い、タクシーで原告の住所付近に赴き、この付近に駐車してあった本件オートバイの座席とガソリンタンクとの隙間に本件覚せい剤を隠し、乙川にこのことを電話で報告し、同月七日ころ、乙川から謝礼の残金として一五万円を受け取り、同月八日ころ、約一〇万円を田中に謝礼として渡した。

他方、戊山から右電話連絡を受けた乙川は、そのころ、丙沢に右写真と原告の労働者名簿を示しながら、右報告内容を説明し、この説明を受けた丙沢は、同月六日警察当局に対し、「甲野製壜所の社員の長崎がオートバイの座席の下に覚せい剤を隠したのを見た人がいるので、長崎を逮捕してもらいたい。」と述べた。このため原告は、同日、覚せい剤取締法違反罪で現行犯逮捕された。

右認定事実によれば、被告二郎は、被告会社において発生していた多くの労使紛争を惹起しこれを指導している中心人物と考えていた原告がさらに新労組を組織したことから、新労組を弱体化ないし壊滅させるためには原告を被告会社から放逐する以外に方策はないと考え、原告を解雇する口実を得るため、不動産ブローカーの乙川らに対し資金提供をし、同人らをして密かに原告が本件覚せい剤を所持している外観を作出させ、警察当局に密告させて原告を現行犯逮捕させるに至ったということができる。

してみると、当裁判所も、被告二郎が乙川らと共謀のうえ本件誣告を実行したという点において別件刑事事件判決と基本的に同一の事実認定に立つものであり、被告二郎は、本件誣告の首謀者として、不法行為責任を負うものといわなければならない。

以下、被告らの反駁について判断を示す。

(一) 別件刑事事件における被告二郎の自白は、捜査官により強要された虚偽のものである旨の反駁について

(1) 被告二郎は、別件刑事事件の捜査段階において、最終的には略々原告の主張するとおりの態様・程度で本件誣告に関与した旨自白するに至ったが、当初は本件誣告に関与していたことを全面的に否定していた(〈書証番号略〉)。

(2) なるほど、上原正吉著「波涛を越えて」中に被告らの主張するような内容の記載があること及び右著書を被告二郎が所持していたことは〈書証番号略〉により認められる。そして、被告二郎の取調べを担当した捜査官である今井澄は、昭和六二年一二月二八日か二九日ころ、少なくとも被告二郎の逮捕(昭和六三年一月一一日)前に右著書を読んだ旨を供述し(〈書証番号略〉)、別件刑事事件における主任検察官であった麻生興太郎は、右著書を入手したのは昭和六三年一月一四日であって、これを同月一七日に読んだ旨供述しており(〈書証番号略〉)、被告二郎が本件誣告への関与について初めて自白した昭和六三年一月一七日(〈書証番号略〉)の時点においていずれかの捜査官が右著書中に被告らの主張するような記載内容のあることを認識していた可能性を一概に否定することはできない。

しかしながら、捜査官は、乙川が本件誣告について自首をしてきた時点において、既に、乙川の背後に被告会社の関係者が存在し、これが本件誣告の首謀者ではないかとの見通しをもって捜査を進めていたのであり(〈書証番号略〉)、昭和六二年一二月七日には、本件誣告につき被告二郎と共謀した旨の乙川の供述も得ていた(〈書証番号略〉)のであるから、右時点以降、捜査官が、本件誣告に被告二郎が関与していたとの認識のもとに捜査を遂行していたものと推測できる。ただし、右乙川供述は、麻薬を原告に持たせることを被告二郎が提案したという内容のものであったところ、被告二郎の逮捕時点においてもその裏付捜査はなお未了であり、逮捕後になされた右裏付捜査の過程において右著書の存在が明らかになったため、以後、捜査官は、右乙川供述につき裏付けが得られたとの判断のもとに被告二郎に対する取調べをすることになったものと推測される。

従って、被告二郎の自白前に捜査官が右著書の存在を認識していたとしても、それ自体は被告二郎の自白の信用性を左右するものではない。

(3) しかし、問題は、要するに、捜査官が被告二郎に自白を強要した事実ないし被告二郎においてあえて捜査官に迎合して自白をした事実が認められるか否かである。

なるほど、〈書証番号略〉によれば、別件刑事事件における自白当時、被告ら主張のとおり、被告二郎が狭心症や糖尿病等を患っていたことが認められる。しかし、捜査官は、公判廷において被告二郎が右健康状態を理由として自白調書の任意性を争うことを予想し、これに対処するため、意識的に、長時間の取調べに及ばないようにするとともに、被告二郎から胸が苦しい等の訴えがあった場合にはその都度ニトログリセリン等医師の指示した薬を服用させたうえ取調べを打切り留置場に帰す等の配慮をしていた(〈書証番号略〉)のであるから、別件刑事事件における自白当時の被告二郎の健康状態は右自白の信用性を左右するものではない。

また、被告二郎とともに、一郎も本件誣告に関与したとの容疑で逮捕されたことから、右逮捕により被告会社の経営に深刻な影響が出ることを懸念した被告二郎が、せめて一郎を釈放させるため、本件誣告は乙川と被告二郎においてすべて計画実行したことであり一郎は無関係であるとの自白をした可能性も考えられないではない(〈書証番号略〉)が、被告二郎が別件刑事事件における身柄拘束中も弁護人とほとんど連日接見し、弁護人から真実を述べるようにアドバイスを受けていたこと(〈書証番号略〉)を考えると、右可能性も否定せざるを得ない。

(4) また、被告二郎の別件刑事事件における自白は、当初「乙川が、覚せい剤を原告に持たせることを提案した。」というものであったが、昭和六三年一月二三日に至り、被告二郎は「被告二郎と乙川のどちらからともなく麻薬を原告にもたせたらどうかという話になった。」旨供述を変更した(〈書証番号略〉)。そして、捜査官に前記著書の存在が明らかになり、これを捜査官が被告二郎に指摘した結果、右供述変更がなされたことも〈書証番号略〉により認められる。

しかしながら、現実に本件誣告に使用された薬物が覚せい剤であった以上、被告二郎と乙川との間において本件誣告に覚せい剤を使用する旨の共謀が当初から成立していたと考えるのがむしろ自然であり、一月一七日の時点において被告二郎から「覚せい剤を原告に持たせることを共謀した。」との供述が得られた段階において、捜査官は、本件誣告に麻薬を使用するという提案であったとの前記乙川供述が事実に反すると断定して捜査を進めることも可能であったはずである(覚せい剤は、麻薬と同様に、法律上所持することが禁じられている薬物としては比較的よく知られているものであるから、右著書をヒントとして、麻薬ではなく覚せい剤を原告に所持させることを思いついたとしても何ら不自然とはいえない。)から、捜査官において、本件誣告に使用する薬物の種類に関する被告二郎の供述を、右著書に合わせて「覚せい剤」から「麻薬」へと変更させなければならない必要は全くなく、右供述変更は、あくまでも被告二郎の意思に基づき任意になされたものと推認できる。

結局、被告二郎の別件刑事事件における自白において本件誣告に使用された薬物が「覚せい剤」から「麻薬」に変遷していることは、被告二郎が本件誣告に関与したという点についての右自白の信用性を左右するものではない。

(5) なお、被告らは、丙沢との間で本件誣告の手順を決めた後被告二郎に対して本件誣告に覚せい剤を使用する旨報告したとの別件乙川証言が真実であるとすれば被告二郎は乙川と同様覚せい剤取締法違反の罪名でも起訴されて然るべきところ、この起訴がなされていないということは、捜査官自身が乙川供述の信用性に疑問を抱いていたことを意味する旨反駁するが、被告二郎が覚せい剤取締法違反で起訴されなかった理由は、捜査官が、覚せい剤取締法違反罪による起訴を差し控えて誣告罪のみによる起訴をする方針を固めたことにあると認められる(〈書証番号略〉)のであって、捜査官は、乙川供述のうち、本件誣告に使用する薬物につき、被告二郎と乙川との謀議の段階では「麻薬」という言葉が使用されていたということ及び本件誣告は被告二郎において提案したものであったこと等細部については、全面的にこれを措信してはいなかったものの、核心部分である本件誣告に被告二郎が関与していたとの点については一貫して信用できるものと判断し、これを捜査の基本に据えていたことが認められる(〈書証番号略〉)。

(6) してみると、別件刑事事件における被告二郎の自白は、捜査官が前記著書の記載内容をヒントとして筋書きを作り上げ、狭心症で苦しんでいた被告二郎を追及して虚偽の供述をさせたものである旨の被告らの反駁は採用できず、右自白の信用性は肯定できるというべきである。

(二) 別件乙川証言には矛盾があり信用できない旨の反駁について

(1) 被告らは、乙川が原告の女性関係についての調査をしたとすれば昭和六二年一〇月二五日以降であるから、別件乙川証言にあるように昭和六二年一〇月一〇日から半ばころにかけて被告二郎と乙川との間で本件誣告についての謀議がなされることはない旨反駁する。

(2) しかしながら、右反駁は、乙川が原告の女性関係の調査をした時期が同月二五日以降であったことをその前提とするが、これを明確に裏付けるに足りる証拠はない。また、乙川は、同月一三日に、静岡県在住の知人である渡辺八郎に対し原告の喧嘩相手になることを一旦依頼し、同月一五、六日ころ右渡辺に対し「違う方法をとることにした。」と告げて右依頼を撤回していることが認められる(〈書証番号略〉)から、本件誣告の謀議がそれ以後になされたものであることは明らかであるが、そもそも乙川の月日に関する証言が全般的に大雑把なものであることを考えると、別件乙川証言において「半ば」「中旬」とあるのは、同月下旬の遅くない時期をも含んでいると解しうるのである。このように考えると、別件乙川証言は矛盾しているとはいえないし、前記のとおり、本件誣告の謀議が同月下旬に始まったと認定することの妨げとはならないというべきである。そして、被告らが指摘する乙川による原告の女性関係の調査の事実は、そのような事実がなかったと考えればもちろん、仮にその事実があったとしても、乙川が渡辺に喧嘩の依頼を取り消した同月一五、六日ころから、本件誣告の謀議の始まった同月下旬までの間にされたものと考えれば、事実経緯として不自然なところはないといえる。

従って、別件乙川証言は信用性を欠くとの被告らの主張は採用できないといわざるを得ない。

(三) 被告二郎が乙川に対し本件誣告の資金を供与した事実はなかった旨の反駁について

(1) 前記認定(本件誣告に関する部分を除く。)のとおり、乙川は、新労組対策のために平井寮の管理人として勤務することによって被告二郎から昭和六二年七月から一〇月まで月々約三〇万円の報酬を受領していたものの、それ以上に被告会社のために新労組を弱体化しなければならない事情があったわけではなく、まして、原告に対しては、原告の影響で新労組対策が思うにまかせないとの意識はあったが、個人的怨恨に類する感情は有していなかったものである。そして、乙川が、同年一〇月当時、不動産ブローカー仲間である牧野田秀昭に対し、近く不動産関係の収入とは別に大金が入る旨話していること(〈書証番号略〉)や別件刑事事件において、本件誣告に成功した場合には、被告会社の関連会社に斡旋した投資対象土地で被告二郎から早急に買手を見つけるよう督促されていた伊豆大島の土地の件から手をひかせてもらおうと考えていた旨証言していること(〈書証番号略〉)等をも併せ考えると、乙川が本件誣告を敢行した目的は、被告二郎の意図に協力してこれを実現し、被告二郎とのより親密な関係を築こうとしたのではないかと推測されるが、この点に関する別件乙川証言は曖昧であって、結局のところ明らかではない。いずれにせよ、乙川は、本件誣告に要する費用としては、覚せい剤の購入資金として仲介人への報酬を含めて三三万円、覚せい剤を原告のオートバイに隠す者への謝礼として二五万円の合計五八万円が少なくとも必要であったところ、本件誣告当時の乙川は、前記のとおり被告二郎から受領する月々三〇万円程度の収入の他にはこれといった収入がない状態であり(〈書証番号略〉)、右金額を自ら準備することは困難であったと考えられる(もっとも、被告らは、本件誣告当時乙川には不動産仲介の報酬として一〇〇万円程度の収入があった旨主張し、不動産ブローカー仲間として乙川と行動を共にしていた大関登治も、昭和六二年一〇月末ころに一〇〇万円程度の収入を不動産仲介により得たと乙川から聞いた旨証言している(〈書証番号略〉)が、右大関証言はいかにも唐突であってにわかに信用できず、かえって、〈書証番号略〉によれば、乙川は、昭和六二年一〇月ころ三〇〇〇円、五〇〇〇円という金額を牧野田から借用していたにもかかわらず、右不動産収入に関する話を同人にした形跡がないのであって、これらを総合すると、昭和六二年一〇月末に乙川が一〇〇万円程度を不動産仲介の報酬として取得したとの事実を認めるに足りる証拠はないというべきである。)。結局、乙川が自ら資金繰りをして本件誣告を敢行したと考えるには矛盾する事情が多いといわざるを得ない。

これに対し、被告二郎は、原告入社以来労使紛争の局面において原告と厳しく対立し続けてきた(〈書証番号略〉)うえ、年令的な理由で被告会社を長男である一郎に引き継ごうと思っていた矢先に、原告を中心とする新労組が結成されたことによって労使関係の比較的安定した状態で被告会社を引き継ごうという被告二郎の意図も頓挫してしまったのであるから、被告二郎が、被告会社を一郎に引き継ぐ前になんとしても原告を被告会社から排除しなければならないと思い詰めることは十分に首肯しうることである。

さらに、被告二郎は、常に一六〇万円程度は自由になる金を自己の机の引き出しの中に所持していたというのであるから(〈書証番号略〉)、本件誣告に要する費用を調達することは被告二郎にとって何の困難もない。

これらの状況は、被告二郎が本件誣告に要した費用を捻出したとの前記認定と矛盾なく符合する。

(2) ところで、被告らは、被告二郎が昭和六二年一〇月三一日に被告会社社長室において乙川に対し本件誣告に要する資金として八〇万円を交付するということは、客観的証拠に照らし有り得ない旨反駁する。

別件乙川証言によれば、乙川は、昭和六二年一〇月三一日午前中に被告会社社長室において被告二郎から本件誣告に要する費用として八〇万円を受領し、右金員に手持ちの二〇万円を足した合計一〇〇万円を自己名義の銀行預金口座に入金したというのであり(〈書証番号略〉)、〈書証番号略〉によれば、右入金は同日午後一時四五分と同四九分に五〇万円ずつに分けてなされていることが認められる。

一方、被告会社の決算を担当している会計士事務所の職員である矢崎喜六は、別件刑事事件において、昭和六二年一〇月三一日午前一〇時ころから同一二時ころにかけて被告会社社長室において被告二郎と会っていたが、その際、乙川と思われる人物は被告会社社長室に現れなかった旨証言しており(〈書証番号略〉)、被告らは、右証言をひとつの根拠として、右金銭授受に関する別件乙川証言は虚偽である旨主張する。

しかしながら、八〇万円を被告二郎から受け取った日時に関する乙川の供述は、一応昭和六二年一〇月三一日の午前中という点では一貫しているものの、午前中のどの時間帯かということになると、午前一〇時前後と供述してみたり、昼に近かったと供述してみたりするなど曖昧であり、そもそも、午前中に会ったということ自体も乙川の確たる記憶というよりは被告二郎と会うのは一般的に午前中が多かったということが根拠となっている(〈書証番号略〉)のであって、右八〇万円を被告二郎から受領した時刻に関する別件乙川証言は、極めて曖昧であって信の置けるものではない。また、右矢崎の証言も、客観的裏付けを有するものではないうえ、本件誣告から約半年後の昭和六三年五月三〇日になされたものであるから(同人の証言によれば記憶を喚起したのは同年四月ころであるという。)、右面会が昭和六二年一〇月三一日の午前一〇時から一二時ころまでであったという点が、どの程度信用性の高いものであるかについては疑わしいといわざるを得ない。従って、右矢崎証言をもって直ちに別件乙川証言を排斥するということはできないというべきである。

(3) なお、被告らは、乙川が、右八〇万円を銀行に入金するに際し、手持ちの二〇万円を足して一〇〇万円としたうえで入金したと証言していることを捉え、乙川の当時の経済状態及び昭和六二年一〇月三一日の午前九時四五分に五万円を引き出していること(〈書証番号略〉)に照らし、不自然である旨主張するが、乙川の右行動が、裁判所の前記認定を覆すほどに不自然な行動であるとはいえない。

(4) 右のとおりであるから、昭和六二年一〇月三一日に被告二郎が乙川に対し本件誣告のための費用として八〇万円を交付したとの別件乙川証言は、これを信用することができ、前記認定のとおりこの事実を認めることができるというべきである。

二争点2の被告会社の責任について

1  原告の主張

(一) 本件誣告は、被告会社が、新労組を弱体化するために、その組織をあげてした不当労働行為であるから、被告会社は民法七〇九条に基づく不法行為責任を負う。

(二) 仮に被告会社が民法七〇九条に基づく不法行為責任を負わないとしても、本件誣告は、当時の被告会社代表者であった被告二郎が、労働組合対策という職務を行なうにつき、新労組弱体化という不当労働行為意思を実現するために新労組の中心人物と目していた原告を被告会社から排除すべく行った行為であるから、民法四四条一項により被告会社は原告の被った損害について賠償責任を負う。

2  被告会社の反駁

被告二郎は本件誣告に関与していないし、被告会社が会社ぐるみで本件誣告を行ったという事実もない。当時の総務部長であり被告二郎の長男である甲野一郎は、本件誣告に関与したとの容疑で逮捕されたが、右事実は認められないとして不起訴処分となっている。

また、乙川は被告会社の被用者ではなく、本件誣告が被告会社の事業の執行として行われた事実はない。

3  当裁判所の判断

前記認定のとおり、被告二郎は、本件誣告当時、被告会社の代表取締役として労働組合対策等の労務管理を含む被告会社の業務全般について権限を有しており、本件誣告は、右権限を有する被告二郎が、被告会社の労務管理を容易にすべく、新労組の中心的活動家である原告を被告会社から排除して新労組を弱体化する目的でこれを敢行したものであるから、本件誣告は、被告二郎の労務管理という職務執行行為を契機とし、これと密接な関連性を有する行為であるというべきである。従って、被告会社は、被告二郎のした本件誣告による身柄拘束のために原告が被った損害につき、商法二六一条三項、七八条二項、民法四四条一項に基づく損害賠償責任を負う。

三争点3の損害の有無及びその額についての当裁判所の判断

1  原告は、全く身に覚えのない本件誣告のために昭和六二年一一月六日逮捕され、同月九日釈放されるまでの間身柄を拘束され、その間、覚せい剤所持の事実を否認していたことから右事実の有無について捜査官から厳しい追求を受け、手錠及び腰縄を掛けられた姿のまま家宅捜索の立会いまでをも余儀なくされ、また、覚せい剤使用の事実の有無の確認のためカテーテルを使用した強制採尿を実施される等の取扱を受けた(〈書証番号略〉、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨)のであって、無実の一市民である原告が被った屈辱感ないし精神的苦痛には甚大なものがあるといわなければならず、また、原告が逮捕された結果、新労組の組合員には少なからぬ動揺が生じたのであって(前掲各証拠)、新労組の中心的活動家としての原告は、一市民としての精神的苦痛以外にも多大な精神的苦痛を被ったものと認められる。

2  ところで、本件誣告は、新労組を弱体化するため、その中心的活動家である原告を被告会社から排除するという極めて異常な目的で敢行されたものである。そして、その態様も、原告に密かに覚せい剤を所持させてこれを警察当局に通報するというものであり、配転命令や賃金差別が不当労働行為として不法行為を構成するのとは異なり、警察権力を利用して原告の自由及び名誉を直接に侵害しようとするものであって、極めて異常である。また、仮に原告が本件誣告により覚せい剤取締法違反罪で起訴され有罪判決を受けるに至った場合には、原告及びその家族らに対し容易に回復しがたい損害を与えたであろうことはもちろん、場合によってはその社会的生命すら危うくしかねなかったものである。しかしながら、被告らは、別件刑事事件判決が確定し被告二郎が服役した後に至っても本件誣告についての被告二郎の関与を頑強に否定し、一片の謝罪すらしていないのであって、原告の被った精神的苦痛は、結果的に身柄拘束中も被告会社から欠勤扱いされることなく通常の給料を得たこと(〈書証番号略〉)や被疑者補償規程に基づき国から一日最高七二〇〇円の割合による補償金が支払われることとなったこと(〈書証番号略〉)によっては、到底慰謝されたものとはいえない。

3  もっとも、被告二郎は、本件誣告により懲役二年の実刑判決を受けて服役し、これによって法的、社会的な制裁をも受けているとともに、原告も覚せい剤取締法違反罪がぬれぎぬであることが明白になって一応その名誉を回復していると考えられる。

4  以上諸般の事情を総合すると、原告が被った精神的損害を慰謝するための金額としては二〇〇万円が相当であり、また、本件訴訟の経緯、内容、審理期間等諸般の事情に照らし、原告が原告訴訟代理人らに支払うべき報酬のうち五〇万円は本件誣告による身柄拘束と相当因果関係のある損害に該当するというべきである。

第四結論

よって、原告の被告らに対する請求のうち、各自二五〇万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める部分は理由がある(ただし、平成二年四月二九日から同年五月一六日までの遅延損害金六一六四円については、被告会社のみが支払義務を負う。)から右限度でこれを認容するとともにその余の各請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条ただし書、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官林豊 裁判官山之内紀行 裁判官岡田健)

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